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名称 明野陸軍飛行学校天竜分教所跡
明野陸軍飛行学校天竜分教所跡の写真
明野陸軍飛行学校天竜分教所跡

明野陸軍飛行学校天竜分教所跡の立看板
明野陸軍飛行学校天竜分教所跡の立看板

明野陸軍飛行学校天竜分教所跡
明野陸軍飛行学校天竜分教所跡

分野 歴史
地区 竜洋地区
所在地 飛平松(袖浦公園中心)
見所

太平洋戦争中、昭和14年(1939年)に工事を開始し、同17年には完成した。 200町歩(約198 h a )の土地に1600mの滑走路2本、格納車4棟、射撃場、兵舎が建てられた。当分教場は戦闘機のパイロット教育訓練の場であった。


終戦後、航空部隊関係の復員業務遂行上最も憂慮していた志気旺盛な戦闘機空中勤務者の対策として、帰農を前提として当飛行場が選ばれた。昭和20年(1945年)11月3日、鍬入れ式が行われ24名が参列した。そして、天竜開拓地として県の緊急開拓事業の推進が始められた。


昭和21年(1946年)、帰農組合を結成。この特本組合を「飛平松(とびひらまつ)婦農組合」と仮称したが、のちに地域名も飛平松と呼称することになる。そして、開拓作業と住宅の建設が始まる。この時点で34軒の入植者があった。昭和26年(1951年)、開拓神社が建立。入植旧軍人の公職追放解除される。

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