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名称 赤煉瓦建物群
旧竜洋町駒場 相場宅の煉瓦蔵の写真
旧竜洋町駒場 相場宅の煉瓦蔵

旧福田町 山一織物 煉瓦塀
旧福田町 山一織物 煉瓦塀

中泉(西新町) 高橋宅の防火塀
中泉(西新町) 高橋宅の防火塀

分野 歴史・産業
地区 全域にわたるもの
所在地
見所

磐田地域の赤煉瓦の建物について、明治・大正期に建造されて現存するものを合併前の市町村別に調べてみると、旧豊岡村にはなく、旧豊田町には牛舎が1箇所、旧竜洋町は煉瓦蔵が3箇所と塀が1箇所、旧福田は防火塀が10箇所、旧磐田市の見付地域は建造物が4箇所、防火塀が12箇所、中泉地域は建造物が6箇所、防火塀が15箇所現存している。地震対策で煉瓦塀改修に市も補助金を出しているが、この1〜2年で消失したものも10箇所近くにのぼる。


煉瓦工場所在地に近い見付の西南部と中泉西南部に集中しているのは、当時の運搬が荷車の人力によったことが大きく、あまり遠くまでは運べなかったことによるものだろうか。竜洋や福田の煉瓦は船便により外部から運ばれたものである。


磐田地域の赤煉瓦の発祥は東海道線の鉄道敷設工事に先立って、中泉境松(現磐田郵便局)と中泉西新町御林(現千寿酒造)の地に煉瓦工場を設置したことに始まる。製造された赤煉瓦は、明治22年(1889年)4月16日に完成した中泉駅のプラットホームや、鉄橋の橋台などに使われた。現在のJR磐田駅に当時の名残が残っている。


明治22年(1889年)より田町の山田好太郎氏が西新町御林の工場の経営に当ったことから、一族の所有地や政財界の人々の周囲にその煉瓦が多用されるのが認められる。


煉瓦は耐火性に強く、住宅密集地域に多用されている。コンクリート用のセメントが出廻る頃から次第に需要が低下したが、そのヨーロッパ風の趣を愛し、今でも赤煉瓦を楽しむ人々も多く、ホテル、公共施設の建造物に使用されている。

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