当時の日本三大美人の一人 熊野(ゆや)御前は、平安時代末期に池田荘の庄司の藤原重徳の娘として生まれ育ち、当時遠江国司だった平宗盛に見初められて都に上り、大変寵愛された女性。平家物語や謡曲などで広く知られている。 「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」と熊野が詠んだ一首に感動し、病気の母を思う熊野に帰郷を許したと伝えられている。郷里池田で宗盛の死を知った熊野は尼になり、33歳の若さで生涯を閉じた。行興寺の境内に咲く藤は、生前に熊野が愛した藤の花ともいわれ、春には「池田・熊野の長藤まつり」で賑わいを見せている。