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名称 ころ柿
吊るされた干し柿の写真
吊るされた干し柿

実る柿の実
実る柿の実

ころ柿
ころ柿

分野 産業・歴史
地区 豊岡地区
所在地 敷地地域
見所

昭和の始め頃から、渋柿(立石柿)を天日で20日ほど干したあと、練炭などで火力乾燥すると、糖度はメロン以上という甘い柿に変身する。それを当時は「桐の箱」に詰めて汽車便で都市部の市場に出荷していた。戦後、日本の高度経済成長に伴って、少しずつ軒先販売されるようになり昭和40年(1965年)代の後半からは贈答用に使われるようになった。渋柿を乾燥して販売している地方は数多くあるが、ちょうど卵の半熟のような仕上げ方は敷地特有の製法である。


「敷地といえば”ころ柿”」と言われるほど、敷地の特産品である。敷地の最後の村長伊藤功が自ら柿を栽培して研究をした。野柿(渋柿)に次郎柿を接いだ栽培が初めで、8人で生産組合を作り起動に乗せた。渋柿の干し柿は気候が暖かいため、カビたりして商品にならなかった。立石柿の渋抜き方法を研究した結果、脱し渋抜き室を地下に作る。火力乾器を考案し、乾燥を成功させ、これを出荷したが完全な渋抜きを目指して各地を歩き研究をしたため別名点々柿とも呼ばれた。このころ柿は信州で自家製造をしたのを、明治時代信州から転居した老僧が伝えた。立石柿に次郎柿を接いで栽培をするようになった。柿の栽培は年間を通じ、消毒・施肥・剥皮・害虫駆除・害鳥対策・摘果など多くの手順を経て、10月ころから収穫を迎える。ころ柿の製法は、皮剥き・凧糸で縛り吊るす・燻蒸(硫黄30分)・乾燥(20日間)・柿柔み作業・天日干し(7日)室で火力乾燥(20日)・仕上げにホワイトリカーを塗る・真空パック・出荷。

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