トップページ
●キーワードで探す
ご意見・お問い合せ

名称 天竜川河口付近での遭難船の歴史(明治時代)



分野 歴史・産業
地区 竜洋地区
所在地 掛塚
見所

遠州灘は大阪と江戸とのほぼ中間に位置しており、伊勢国鳥羽より、伊豆下田まで75里を結ぶ航路である。江戸・明治の時代には多くの船が航行し、往復した。遠州灘は航海の難所として、船の遭難が絶えず起きていた。


天竜川河口には、1里の洲といって海中に突き出た浅瀬があり、ここを航海する船が度々座礁し大きな損害を受けた。


荒井信敬は、自分の体験から灯台の必要性を説き、明治13年(1880年)に改心灯台を設立した。明治年間の河口付近の遭難船は、明治元年〜13年(1868〜80年)までは62隻であった。灯台完成後の明治13年〜27年(1880〜94年)までは9隻に減少した。

関連
リンク