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名称 福長(ふくなが)飛行場跡
当時の福長飛行場の写真
当時の福長飛行場



分野 歴史
地区 竜洋地区
所在地 掛塚(天竜川河川敷)
見所

大正8年9月、浜名郡飯田村(現浜松市飯田町)出身の福長浅雄が掛塚地先の天竜川河原に福長飛行機研究所を設立、飛行機の製作と飛行家の養成を行う。弟の四郎、五郎も協力する。


大正10年(1921年)10月、(株)福長飛行機製作所となる。資本金50万円、社長に長谷川鉄雄就任。大正10(1921年)11月、天竜7号完成。大正11年(1922年)には天竜8号、9号完成。10月には、日本最初の旅客機、天竜10号が完成。大正12年(1923年)の関東大震災には天竜7号が大活躍した。昭和3年(1928年)、飛行場が閉鎖となり、5年に飛行機の格納庫は掛塚尋常小学校(現竜洋西小学校)へ移管され、雨天体操場として利用された。


養成されたパイロットの中には福長三兄弟をはじめ、全日空の専務となった鳥居清次、今井小松(雲井竜子として有名になり、NHKの「雲のじゆうたん」のモデルとなる)、根岸錦蔵(オホーツク海の流氷観測飛行や飛行機による魚群発見の道を開く)がいた。


日本最初の旅客機天竜10号はエンジンはイタリアフィアット製300馬力。機体は一部ジユラルミン、他は木製、翼は布張り。乗員は操縦士2名、乗客4名、時速180km、滞空時間4時間。飛行場の広さは南北500m、使用可能は300m(当時は70〜80mで飛行可能であった)。

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