【 文政8年(1825年)〜明治44年(1911年)】
旧幕臣であり、幕末動乱の時代榎本武揚が率いる美加保丸に乗り込み、北海道へ向かう途中銚子沖で遭難した。船は沈没したが、信敬は助かり、やがて幕府が崩壊し、駿府・浅羽と移り、明治13年(1880年)に駒場に移り同地の開墾に手をつける。
天竜川河口南方の遠州灘において数多くの船が難破するのを目撃し灯台の建設を呼びかけたが、出資者が少なかったため、私財のすべてをつぎ込んで改心灯台という小型の木造灯台を建設した。
信敬はこの灯台を守り続け、海の安全に寄与した。油代金も少ない額ではなかった。又暴\風と巨浪はしばしば灯台を破壊させ、その修理の費用も少なくなかった。
灯台を守るがゆえに波にさらわれ、九死に一生を得たこともあった。
明治30年(1897年)、官営灯台が竣工し平成14年(2002年)現在地に移転した。現在の灯台は3代目である。
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