開祖川僧禅師は、森町大洞院に修行したのち、大本山永平寺の職にあるさ中、後小松天皇の重病を治して一躍、時の人となった。その後、全国信者の喜捨(きしゃ:寄付)で現在地へ建てたこの寺は、三層の本堂、間口11間の山門を誇り、修行僧は700人を超えたという。門弟4傑の一人である太年祥椿は、袋井市の名刹可睡斎の開祖。元亀3年(1572年)の兵火で堂宇を焼失後、家康の下命で一雲斎は可睡斎の末寺となった。これを<本末顛倒>とする代々住職の訴えは、明治まで続けられた。