(1)真言宗 鎌田山金剛院 医王寺
江戸時代には寺地内の八坊からなっていた。
医王寺はその中の一つで、八坊を総称して金剛院と称されていた。
寺伝では天平年間(729〜749年)に創建され、境内に本堂・金堂など伽藍が配置されていた。
武田信玄によって焼かれたが、徳川家康の本願によって再興する。武田家、豊臣家、徳川家の文章など多くの歴史資料、工芸品が寺宝として残されている。
江戸時代初期に造られた枯山水の庭園は、小堀遠州の作と言われ、苔に覆われた参道とともに市指定名勝とされている。石垣は江戸初期のもので、河原石を積み上げた百姓積と呼ばれる工法で作られている。
(2)坊中学校
明治8年(1875年)医王寺住職村松淳高の尽力によって建てられた洋風校舎。
間口十\二間・奥行六間、二階建てで玄関部分だけが、三階という珍しい建築様式の校舎で、見付学校・西之島学校とともに、遠州三大学校として有名であった。明治42年(1909年)、火災のため焼失。
【写真提供】医王寺様
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