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名称 義民蓑笠(ぎみんみのかさ)の碑
義民蓑笠の碑の写真
義民蓑笠の碑



分野 歴史
地区 磐田地区
所在地 千手堂(せんずどう)
見所

食料飢饉時代にみせた農民魂
 明治2年(1869年)、この地方は天竜川と太田川の両河川が氾濫し、農民は凶作で貧困のどん底に苦しんでいた。下岡田村の名主「鮫島万平」等はこの窮状を救おうと東奔西走し中泉代官所へ嘆願したが、役人はこれを聞き入れないばかりか年貢取立てを行い、強引にも、「減税を願い出る者は投獄する」と無謀な布告を発した。鮫島は、圧政に屈せず、各村の名主と会議を重ね、駿府中藩主へ直訴した。
 明治3年(1870年)正月には、広域に伝播し三ヶ野に集合した蓑笠姿の3000人余の農民は命をかけて駿府目指したが、途中掛川藩に阻止され離散を余儀なくされた。
 5名の代表者たちは、強訴の責任で、清水の獄に送られてしまった。鮫島を除く4名は明治5年(1872年)に解放され、帰郷したが、万平のみ獄中の身のままであった。明治7年(1874年)4月28日、49歳の若さで獄中にて短い生涯を閉じた。
 この碑は、義民として時の権力者に屈せず、民を思う強い意志と不屈の精神をもって、行動に移した「鮫島万平」を中心とした代表者たちを讃え、昭和43年(1968年)10月8日に建立されたものである。その碑名は当時の市長であった山内克己氏の自書である。以来38年余経過する現在でも、その碑の周辺の清掃は行き届き顕花も途絶えることがない。毎年秋には地元の天竜地区自治会により、慰霊祭が開催されている。

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