社山城址は、磐田原台地の北端に位置して戦国時代の“いくさ”の出城としての城跡が明確に残っており、見晴らしも良好で頂上には巨木の森の中に八幡神社がある。
社山は、当時の歴史を語る地名・旧跡や自然も多く残っており、森林を保全してハイキングコースにすれば、健康にも適している。
また、昔から豊岡南小学校の校歌にも歌われシンボルにもなっている。
築城については不明であるが記録によれば、文亀年間(1501〜1503年)に斯波氏と今川氏の抗争の場となり、その戦いで斯波氏が破れたため、今川氏の支配となった。その後、今川氏が没落すると徳川氏の支配となった。元亀3年(1572年)に武田信玄が上洛を企図し遠州地方に侵入したため、今度は徳川氏と武田氏の抗争の場となった。天正10年(1582年)に武田氏が滅亡したため城としての存在価値がなくなり、天正18年(1590年)に徳川家康が関東に移封されたことにより、廃城となったようである。山の頂上部に平地があり、一の郭・二の郭・帯曲輪などの遺構\が残っている。
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