福田漁港は遠州灘の御前崎と浜名湖のほぼ中間に位置している。その歴史は古く、宝永年間に当時の横須賀藩が、宝永地震(宝永4年(1707年))により隆起して機能\を失った横須賀湊(みなと)に代えて太田川河口に築港を行い横須賀藩港としたのが始まりである。最盛期(嘉永年間(1848〜54年頃)には五百石船や千石船が出入りして海上交通の要衝として栄えていた。
しかし河口という地形的条件から太田川からの流下土砂による埋没や波浪による河口埋塞(まいそく)のため水深を維持することは困難であった。昭和の初期には20〜30トンの船が辛うじて出入りできる状態であったが、昭和19年(1944年)の東南海大地震により太田川一帯の河床が0.3〜0.6m余り隆起したため港は一層浅くなり、その後は10トン程度の漁船がようやく通れる程度になってしまった。
河川の出水や波浪の影響を受けずに利用できる漁港の整備が必至となったため、県は昭和45年(1970年)から漁港改修事業により太田川から分離した漁港の整備に着手、昭和56年(1981年)には太田川と完全分離した旧漁港を暫定開港となった。
昭和62年(1987年)には漁港区域を変更して港域を拡張、外郭施設の拡充を図るとともに避難港に必要な静穏な船舶泊地の造成を主目的に事業を進め、平成10年(1998年)には現在の市場を整備し新港の暫定供用へと至った。現在は更なる外郭施設の拡充を図るともに、駐車場、広場等の整備も進め、人々の「ふれあいの場」としての漁港作りを進めている。
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