昔から「鶴は千年、亀は万年」といわれ、鶴と亀は長生きの象徴として、慶事の印としてもてはやされていた。戦前まで夏の夜に福田や豊浜の海岸に一晩に何匹も上陸していた亀は漁師に大漁や幸せをもたらしてくれると信じられていた。
また、漁師は網にかかった亀に酒を飲ませて放してやったり、産卵のために上陸し、力尽きて死んでしまった亀を砂丘に手厚く葬った。
亀塚とは、このように漁師の網にかかったり、産卵のため上陸して何らかの理由で死んだりした亀を葬った塚のことである。
長い年月の間に数多く造られたはずの亀塚はほとんどが消えてしまった。向岡のコミュニティセンター東側の寺田家の亀塚は、漁師の間で「亀塚様」として大切に祀り続けられてきたが、そのうち忘れられ荒れ果てている。
これに心痛めた人々により、昭和42年(1967年)に整備され塚石が設置された。
観音寺境内にも亀塚があり、多くの亀の供養のため向岡の亀塚と時を同じくして建てられたものである。
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