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名称 芋切干
芋切干の写真
芋切干

芋畑
芋畑

収獲されたサツマイモ
収獲されたサツマイモ

分野 産業
地区 磐田地区
所在地 磐田地域
見所

 磐田地方における甘藷栽培の歴史は、詳細は正確には分からないが、初めて導入されたのは、寛政年間(1790)頃と推測される。
 当時、海岸の砂地において試食用に栽培された程度で、その区域は極めて狭い範囲にとどまっていた模様だ。
 文化(1804)頃になり西平松村(現磐田市西平松)の兼子市左衛門という人物が自己の収穫及び付近の物も集荷して浜松方面へ出荷したという。これにより相応の生産高があったものと考えられる。
 天保年間に入り栽培の区域はやや広がりを見せ天竜川沿岸、磐田原の耕地にもおよびが専ら農民の間食用にされたようだ。
 その後、明治初年に大藤村井戸ヶ谷(現磐田市大藤)の人、大場林蔵、稲垣甚七の両氏が初めて切干(厚切り)を製造し、この作物の利用方法を周囲に教えたのでこれにより栽培する者も増加した。明治25,26(1950,1951)年頃にはかなり盛大になり、井戸ヶ谷切干の名称が広まった。
 明治30(1960)年頃には栽培や切干生産は、ますます盛んになり富丘、岩田、見付他その他の町村も年を経るにしたがい増加するようになった。(磐田郡甘藷切干同業組合、大正元年発行の「甘藷切干」による)。
 なお、当店数代前の口伝えに当時四国より技術者2名を招聘し、大藤村の農家に栽培ならびに製造の技術指導を依頼したという。
 甘藷切干の販売は明治30(1960)年頃、全国の各駅の運送店に依頼し、販売可能な商店を紹介してもらい、見本を送り全国に販売網の拡張を図ったとのことである。
 現存する当時の顧客名簿1500店、範囲は樺太、満州、朝鮮、中国、台湾(旧日本軍)及び日本全土でそのうち500店が対象で保存食や間食用と思われる。特に北海道、東北地方に多大な需要があった。
 大正年間、昭和初期の最盛期には一期(11月より2月末)60万貫の生産高があった模様で、昭和6(1931)年から東京の三越で、遠州甘藷切干として(篭入り500匁)数年販売された。

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