磐田市中大原にある松岡霊社・池主神社に祀られた人物。
1839年(天保9年)江戸に生まれ、徳川直参の旗本で、代々鷹匠頭を務め、幕末には、徳川慶喜の親衛隊長として護衛にあたった。
大政奉還から廃藩置県までの四年間は、当初幼少であった静岡県知事徳川家達のもとで、権小参事として来静し、水利路程掛、製塩方、開墾方等の頭として、職を失った幕臣の救済のため、山岡鉄舟、勝海舟、大久保一翁、関口隆吉等と協力し、牧之原や富士山麓の開墾を指揮した。磐田郡幸浦湊(福田町)に製塩場を設けられ、新門辰五郎らとともに移住し、製塩にも従事した。
その際大原、南田地区の大池に灌漑用水を依存している農民が、大池干拓計画に反対。松岡は農民の主張を認め、1871(明治4年)」計画を中止させたので、これに感謝した農民が、1875年於保村の水神社境内に「池主霊社」を創建した。
また、1871年に岡部町と廻沢村が入会地を争ったとき、公正な判断を下し、廻沢村では、飛龍神社内に「松岡神社」創建している。
松岡は、生前から二ヶ所で「松岡様」と崇められている。これを生祠という。1875年(明治8年)東京に帰り、警視庁に出仕、警察官となった。
1891年(明治24年)3月、54歳で逝去された。盟友山岡鉄舟が建てた全生庵(東京都台東区中)に眠る。
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