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名称 青山宙平(あおやまちゅうへい)



分野 ひと・産業
地区 磐田地区
所在地 中泉
見所

1818年中泉村に生まれる。名主。中泉代官・前島密奉行の立案した普済院という弱者救済の事業を担当して、社会福祉行政の先駆けとなった。この事業は子息の徹にも協力させ親子で社会奉仕に情熱を傾ける。
 さらに青山は、初代磐田郡長や中泉銀行の頭取にも推挙されて、地方自治の振興や経済活動の分野でも目覚ましい活躍を示した。
 ときに、東海道鉄道の建設計画が進む。機を見るに敏の青山は、市川新右衛門らと共に、所有地を提供して駅舎の誘致に勉める。ために中泉駅(現磐田駅)は、明治22年(1889)4月16日に現在地に開業した。
 1910年93歳で没。
 前島密は、青山宙平を讃える文を選び、石に刻む。この寿蔵碑が長らく柏原家にあった。しかし、広く顕彰すべきと磐田市文化財保存顕彰会が、御殿遺跡公園に移築す。おりしも磐田駅南口を開設。これを記念し、前島密の像と伴に寿蔵碑も駅南口広場に建立した。
 孫の青山士は、パナマ運河工事に携わった唯一の日本人技師。日本では、荒川放水路工事が主な仕事。明治43年没。中泉寺に眠る。

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