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名称 挑燈野(ちょうちんの)



分野 歴史
地区 豊田地区
所在地 上万能\
見所

元亀3年(1572)武田信玄は、3万5千の大軍で浜松城の徳川家康の軍4千と一言坂で戦い、家康を討ち敗った。家康軍は退却に際し武田軍を迎え討つため、湿地帯の石動(ゆるぎ)といわれる沼地を利用した。腰までもぐる震田ゆるぎだに布橋をかけ松林には幟や火をともした提灯をかけて陣地と見せかけ武田軍を待った。武田軍は怒涛のように押し寄せ深い沼に落ち苦しんだ。家康軍は武田軍に大損害を与え浜松に帰る事ができた。村人たちは、この戦いで死んだ将兵の死体を集めて懇ろに弔った。ここを挑燈野といい夏の夜「万能\ボタル」という大きな蛍がたくさん飛ぶのは、武田軍将兵の魂であると伝えている。

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