明治22年(1889年)〜大正15年(1926年)の35年間、於保村(おほむら)と福島村の村境(於福橋)に立てられていた案内板で、「これより南、磐田郡福島村」「これより北、磐田郡於保村」と記載されている。
「私が大原小学校に通っていた頃の於福橋(おふくばし)は、土橋からベージュ色のコンクリートに造りかえられていて、今ノ浦川に斜めに架けられた欄干のあるモダンな美しい橋であった。於福橋の上から欄干越しに見下ろす今ノ浦川の流れは、いつも清々しい流れだった。この於福橋は、今は跡形もない。このなつかしい於福橋は、現在の於福橋の北100メートルほどの地点にあったと思う。・・・・・」(平成3年(1991年)福田の文芸誌「はまぼう」/寺田多見冶氏記)
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