横須賀藩は自領に道を作って東西及び東海道の宿駅との交通の便に供した。
(上街道:浅羽の村中−袋井宿、下街道:海岸沿−大島−西ノ島−見附宿、海岸沿:小島方村−大島村−福田湊−掛塚街道)。
横須賀街道は福田湊への海岸道で、宝永4年(1707年)の大地震による地盤隆起で横須賀が港としての機能\を失い、江戸送りの米を福田港から積み出すようになると益々重要になったようである。
樹齢100年を越す大木を含め松並木の街道の面影を残していたが、昭和50年(1975年)から始まった土地改良工事により松並木が殆ど切り倒された。現在、土地改良の区画外にその一部が面影を留めている。
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