他の地方と違って、竜洋(掛塚)地区は天竜川からの風と南の太平洋からの風により、強い風が吹きまくる。
掛塚湊があったため、木材を扱い、加工する場所も時代と共に拡大され燃えやすい材料が多くあった。
明治時代の大火では、類焼家屋、20戸・450戸・100戸・53戸・340戸・91戸・28戸が記録されている。(江戸末期の戸数は「遠淡海地誌」によれば掛塚村600戸と記録されている。)。竜洋地区の歴史的書物は、この火災により消失したものが少なくない。
このように湊の恩恵を受けながら、反面災害にも苦しんでいた。
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