掛塚地区は昭和19年(1944年)までは天竜川の三角州であった。磐田や浜松への交通手段は、江戸時代までは渡船、明治以降は木橋または渡船であった。
磐田方面へは渡船場が2箇所、橋が2箇所あり、浜松方面へは、渡船場が4箇所、橋も4箇所あった。