【安政4年(1857年)〜大正4年(1915年)】
(掛塚三傑)
明治元年(1868年)、当時の掛塚湊から船に乗り横浜へ出る。丁稚奉公を経験して証券業界に入り、莫大な金を手に入れる。
明治時代は文化の遅れた農業国であった日本の国で私財をなげうって、多くの会社(24社以上)の設立に協力した。その時代の要求する産業の振興に全力を出しきった人である。
晩年には自分の名を残すため、衆議院議員に立候補し県下最高点で当選する。
公共事業にも尽力、早稲田・慶応・地元掛塚小学校に当時の金で千円単位で寄付。社会事業(病院)にも尽力した。
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