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名称 足立喜六 (あだち きろく)
足立喜六の写真
足立喜六



分野 ひと・文化
地区 竜洋地区
所在地 掛塚
見所

【 明治4年(1871年)〜昭和19年(1949年)】

 天竜川左岸の農家に生まれた彼は、度重なる天竜川の洪水氾濫(万延元年(1860年)、慶応元年(1865年)、慶応3年(1867年)、明治元年(1868年))にいたたまれず、東京高等師範学校を卒業後、中国政府の招きで数学・物理の教師として、4年間西安市に滞在した。西安は古代王朝の古都である。
 この長安城の史跡を訪ね、自ら測量したり写真撮影をしたりして資料を集め総括したのが、「長安史跡の研究」という本である。昭和8年(1933年)、天皇陛下に献上する。昭和58年(1983年)には、復刻版を出版。
 「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」を翻訳する。マルコポーロの「東方見聞録」より400年も古い時代で、当時の唐時代の社会を実際に見聞した体験を、天台宗比叡山延暦寺第三世座主、慈覚大師円仁の10年間にわたる唐での求法旅行の日記体を翻訳したものである。昭和40年(1965年)代に駐日米国大使のライシャワー博士からも絶賛された貴重な本である。
 足立喜六は、愛知県立一宮高等女学校校長を定年退職後(昭和5年(1930年))、中国・長安を基点とするシルクロード研究をライフワークにした。仏法を求めての中国から西城、インドに旅した法顕の「玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)」の旅行記に関すると著作を相次ぎ発表した。多くの貴重な学術書を残している。法顕伝は、最近復刻版が出版された。

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