(1)中泉公園
この地は、江戸時代以前より代官や府八幡宮宮司の秋鹿(あいか)家の広大な屋敷の一部であった。明治時代、浜松県の所有となったこともあったが、その間も中泉公園として住民に親しまれていた。扇子池を含む手入れの行き届いた庭園は、「東海の名園」といわれ、静岡市の浮月楼(府月楼)などと並び称された。
(2)開莚楼
平成10年(1998年)まで同地田町の久保川端にあった料亭である。玄関口の建物は文政13年(1830年)建築のため老朽化、経営者は地震を心配して廃業した。歴史があるこの地を公園として残そうと地元住民が市と交渉し、現在は市の所有である。池とその周辺はそのまま残っており、どのような歴史公園に整備していくのか地元住民の意見を取り入れた事業が今後検討されようとしている。
|