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名称 淡海国玉神社



分野 歴史
地区 磐田地区
所在地 磐田市見付2451
見所

大国主命を祭神とする
創立年代不詳
貞観7(865)年5月8日 従五位下(三大実録)

遠江の鎮守の総社である、見付宿の中央にあることから「中の宮」と呼ばれる。

裸祭りでは深夜、見付天神社から深夜、御輿がお渡りをする。

総社:都から国司(現在の県知事にあたる)が派遣され、国司は国の安全と、五穀豊穣を願い、一の宮(小国神社)から二の宮、三と各神社を巡拝したが、各社巡拝を省略して、一箇所に勧請した神社の総称である。

拝殿の欄間彫刻は、信州諏訪の彫刻師立川昌敬の作。

 干支が彫刻されている、ネズミが見当たらない、ネズミは大国主の使いで、本殿にある、ネズミが見当たらないのは、家をかじるからとも言われる。

神官の大久保家は旧見付学校創立に寄与、春野氏は陸軍大将、男爵

神社
 拝殿(明暦2(1656)年)、弊殿・本殿(文久2(1862)年)とあります
 拝殿:参拝者がお参りをし、お払いを受けるところです
 弊殿:神に仕える神主・巫女が神事を行うところ
 本殿:祭神を祀るところ
 参拝で鈴を鳴らすのは、お参りに来たことを神様に伝えるため
 参拝者は神社に向かって左側を歩く、帰るときは逆を歩く、真ん中は神様が通るところ、拝殿に上がるとき履物は、前に向けたまま、神様に尻を向けないため(寺も同じです)
祇園祭:天御子神社の御輿が7月の中旬淡海国玉神社にお渡り神事をする
舞 車:祇園祭の際に、車に載せた舞台の上で東西両方に分かれ舞を競いあった。これを題材に謡曲「舞車」が作られた。恋をした男女が、東・西舞手として見付で偶然にも再会するというものである。旧暦6月7日〜14日の間が祭りの期間に当たる。

淡海国玉神社の淡海とは
 大の浦が海から続いて汽水湖(淡水と・海水が混じる)であることから
見附:京都から江戸へ下るとき、この地に来て初めて富士を見たことから
   津(見附)は入り江の行き着くところから、入海付之地(イリウミツキノトコロ)

見附→見付 明治22年に変更              

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